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その14 ヒ素化合物

分析が有用な中毒起因物質の実用的分析法 -その14(完)- 

ヒ素化合物 
奈女良 昭,屋敷幹雄 

・簡易分析法 
 グトツァイト法.試料:尿5ml.検出下限:1μg/m● 
 ラインシュ法.試料:胃内容物10ml.検出下限:10μg/ml 
・機器分析法 
 蛍光X線分析法.試料:尿5ml.検出下限:4.4μg/ml 
 原子吸光法.試料:尿0.1ml.検出下限:10ng/ml 

 1. 概   要 
 ヒ素(ヒ素化合物)は農薬やガラスの製造過程に使用されていたが,蓄積性や毒性の問題で,これらの用途には使用されなくなった.しかし現在でも,木材防腐剤やシロアリ駆除用,半導体産業には使用されており,まったくなくなったわけではない.代表的なヒ素化合物である三酸化二ヒ素(As2O3)は,亜ヒ酸や無水亜ヒ酸と呼ばれており,無味無臭で中毒症状が非特異的であるために殺人などの手段として用いられてきた. 
 ヒ素化合物が原因となった事件としては,50年代のドイツ・モーゼル地方でぶどう畑にヒ酸鉛を散布する農夫にがんが多発し,慢性ヒ酸鉛中毒患者が発生した.また,1955年6月ごろから西日本一帯で,粉ミルク中に混入していたヒ素により生後2カ月から2歳くらいまでの人工栄養児に奇病が発生し,食欲不振・貧血・皮膚の発しんまたは色素沈着・下痢・微熱・腹部膨満・白血球激減・肝肥大などの症状が出て診察を受ける患者が続出し,死亡者も発生した.最近では,和歌山県での事件や茨城県で有機ヒ素(ジフェニルアルシン酸)が飲料水に混入し,長期間服用していた人に健康被害が出るなど,再び注目を集めている. 

 2. 簡易検査法1~3) 
 高価な機器を用いずに簡単な操作で検査できるのは,モリブデンブルー法やジエチルカルバミン酸銀法などの吸光光度法である.また,これらの原理を利用した検知管や迅速検査キットが市販されている.しかし,生体試料中のヒ素を分析するには,反応を妨害する物質を除去することに加え,ヒ素濃度が微量であるため抽出などの方法でヒ素を精製,濃縮する必要がある.また,生体中のヒ素が低いことから,簡易検査によってヒ素中毒を判断することは困難である. 

 3. 機器分析法4~9) 
 ヒ素化合物には無機ヒ素と有機ヒ素があり,無機ヒ素には3価と5価がある.ヒ素の毒性を評価するには,無機か有機であるか,3価か5価であるかの化学形態を識別する必要がある.ヒ素の分析法としては,水素化物発生原子吸光光度法(AAS)や蛍光X線分析法,誘導結合プラズマ発光分析法(ICP)などが利用されるが,いずれも総ヒ素量測定法であり,化学形態は識別できない.化学形態を識別するには,高速液体クロマトグラフと誘導結合プラズマ発光分析/質量分析計(HPLC-ICP/MS)を組み合わせた装置が利用されるが,特殊であり保有する施設も限定される.そのため,血液や尿中のヒ素分析にはAASが汎用される.本稿では,検出感度に問題が残るものの,多くの救命救急センターが保有している蛍光X線分析計での分析例を示す. 
 【分析条件】 
装  置:エネルギー分散型蛍光X線分析装置(島津製作所製,EDX-700) 
分 析 線:AsKα(10.532keV) 
X線管:Rhターゲット 
X線管電圧-電流:50kV(自動制御) 
フィルタ:Ni 
積算時間:300秒 
強制積算方法:フィッティング 
雰 囲 気:大気 
 【前処理方法】 
① 尿5mlをカップ状の試料容器に入れる. 
② 容器開口部を樹脂薄膜と固定リングで閉じる. 
③ EDXに下記の分析条件を入力する. 
④ 試料をステージに載せ,測定する. 
 【定量方法】 
  定量には適当な内部標準物質がないため,あらかじめ作成した検量線を使用した絶対検量法にて定量する. 
 【分析上の注意】 
① 検査試料中に鉛が含まれる場合は,ヒ素の分析線AsKαと鉛の分析線PbLαが重なるので,AsKβとPbLβを確認して鉛の有無を確認する必要がある. 
② 液体窒素を使用するため,装置へ注入する際には注意する. 
③ 分析の前にヒ素標準液(100μg/ml)を定量し,定量値の差が5μg/ml以内であることを確認する.定量値の差が5μg/ml以上であれば,検量線を作成し直す. 
④ 本法の検出下限は4.4μg/mlであり,血液や尿中のヒ素を分析してヒ素中毒を判断することは困難であるので,飲み残しや胃内容物などのヒ素濃度が高い試料へ適応する.血液や尿中のヒ素を分析するには,吸着膜などへの濃縮を行い,検出感度の向上を工夫する必要がある. 

 4. 症   例7) 
 68歳,男性.自殺目的で焼酎とともに歯科用ネオアルゼンブラック1g(三酸化三ヒ素0.45g)などを服用した.服用約14時間後,家人が呼名反応はあるがつじつまの合わない様子に気づき,救急隊を要請した.近医搬入時,意識清明で血圧134/67mmHg,心拍90/分,体温36.5℃,呼吸18/分であった. 
 入院時の血清中ヒ素濃度は39ng/mlと正常域であり,尿中ヒ素濃度は89ng/mlと正常域以上であったが,入院が必要とされる値よりは低かった. 

 5. 血中濃度と重症度4,6,10) 
 暴露を受けていない人の血清中ヒ素濃度は30ng/ml以下であり,尿中ヒ素濃度は10~30ng/mlとされている.また,正常人の血液中ヒ素濃度は10~590ng/ml,尿中ヒ素濃度は0~110ng/mlとの報告例もあり,人種,地域性,食事などの違いにより大きく影響を受けるとされている. 

 6. 体内動態10) 
 ヒ素化合物は,価数にかかわらず速やかに消化管より吸収される.吸収されたヒ素は,血液中のタンパクと結合して体内に分布する.また,吸収されたヒ素は,メチルアルソン酸やジメチルアルソン酸へとメチル化されて尿中に排泄される.無機ヒ素はSH基との親和性が高いため,SH基に富むケラチンと結合し,毛髪や爪に蓄積される. 

 7. 臨床所見 
 急性中毒時の代表的な所見は,腹痛,嘔吐などの消化器系症状と頻脈などの循環器系症状である. 
 汚染された飲料水を長期間服用した場合の慢性中毒の所見は,色素沈着,角化症などの皮膚症状,末梢神経炎などの神経系症状や呼吸障害などの呼吸器系症状などである. 

 8. 治   療 
 摂取後すぐであれば胃洗浄を行うが,消化管からの吸収が早いため,その有効性には限りがある.嘔吐や下痢,消化管出血による低容量性ショックが原因で死にいたることがあるため,速やかに輸液や輸血を開始して血管内容量を保つ.拮抗剤としては2,3-ジメルカプトプロパノール(BAL)などのキレート剤がある.BALはチオ亜ヒ酸化合物を形成し,容易に排泄される. 

 文 献 
1) 日本薬学会編:薬毒物化学試験法と注解-第4版-.南山堂,1992,pp27. 
2) 広島大学医学部法医学講座編:薬毒物の簡易検査法-呈色反応を中心として-.じほう,2001,pp21-30. 
3) 日本薬学会編:衛生試験法・注解 2000.金原出版,2000,pp905-7. 
4) 角田紀子:ファルマシア 1998;34:1237-41. 
5) 奈女良 昭,並木健二:中毒研究 2000;13:91-7. 
6) 鈴木 修,屋敷幹雄編:薬毒物分析実践ハンドブック.じほう,2002,pp557-66. 
7) 小山和弘,田中啓司,坂本奈美子,他:中毒研究 2002;15:167-70. 
8) 大木 章:ぶんせき,2004;27-32. 
9) 尾造由美子,吉澤美枝,村田厚夫,他:中毒研究 2004;17:359-64. 
10) 内藤裕史,横手規子監訳:化学物質毒性ハンドブック.丸善,2003,pp848-53.


掲載終了にあたり

 

日本中毒学会分析委員会委員長 
屋敷幹雄

 

 中毒治療の最前線となる医療施設で分析を行い,結果を医療に反映させることを目的に,全国73カ所の救命救急センターに高速液体クロマトグラフと蛍光X線分析計などの毒劇物解析機器が配備された.日本中毒学会分析のあり方検討委員会(元委員長吉岡敏治)では,配備された機器を最大限に機能させるために,分析が有用な中毒起因物質として15品目を選定した.これを受けた本委員会(前委員長中谷壽男)では,具体的な分析法を提示するために中毒研究15巻第1号から14回に渡り連載してきた.なお,テオフィリンについてはTDMも実施されていることから,本企画では割愛した. 
 これまでに紹介した記事は,執筆者が実際に使用している方法であるが,救命救急センター等の分析担当者が実施した場合に同様の結果が得られるかの追試は行えなかった.また,行間に隠されたノウハウもあり,期待した分析結果が得られるとは限らない.これらの解決策や技術レベル向上のため,日本中毒学会総会の前日に開催している分析講習会などに積極的に参加し,そのノウハウを会得するとともに分析者間のつながりを拡充していただきたい. 
 機器配備後6年が経過したことから,機器の更新時期にもさしかかっており,また,15品目の中毒起因物質の見直しや拡大も指摘されている.さらに,保険請求ができず,分析費用の負担も問題となっている.このように,医療施設での分析に残された課題は多いが,少しずつでも解決できればと考えている.連載の完結に伴い,本委員会ではさらなる中毒分析技術の向上と知識の普及に関する連載を企画している. 

この記事についての問い合わせ先:広島大学大学院医歯薬学総合研究科法医学 
奈女良 昭・屋敷幹雄 
E-mailアドレス namera@hiroshima-u.ac.jp

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